あの日から1年が経ちました。身の回りで見る限り、すっかり何事もなかったように日々が流れています。つい数日前、原発の4号機が、ほとんど偶然から大事故に至ることを免れ、もしこれが普段どうりの状態であったなら、首都圏さえ避難地域となっていたかもしれないという新聞記事を読みました。首の後ろが寒くなります。まだまだ隠された私たちの知らないことがあるのかもしれません。

当時、直接の被災地ではなかった山形の親戚が、カップラーメンやいろいろな日用品が手に入らなくなっているというので、送ってあげようとお店に行きましたが、すでにどこでも売り切れ、何とか手に入れた物を段ボールいっぱいに詰めて、宅配便に電話したら、その地域は今は配達できないという返事でした。

ガソリン不足で給油待ちの車の長い列、計画停電で乾電池やローソクの品切れ。いろいろな物が人が、当たり前のように動いて日々が成り立っていたことを痛切に感じます。今はどれもまたショーケースにあふれているけれど、いったんその動きが断ち切られたら・・・いつまたそんな事態が起こってもおかしくはありません。

あの日、人々は命・家族・友人・知人を、家財を、職を、故郷を失いました。そうして直接の被災者ではない私たちも安心神話が足元から崩れることを知りました。私などはもうそんなに先が長くはないですが、こんな大きな喪失を知った日本が、そこから何を学びどこへ行くのか、知りたい見届けたいと思います。

ハートフル 清野(切紙絵は以前作った「賑やかな海」再びそんなくったくない思いで海が見れるかしら)